玄関出てすぐ横が海。夏は海水浴場として賑わう南房総市にFACTORYはありました。
メインスタッフが7名、工業用ミシンが10台、当初譲り受けた時は、アパレルメーカーさんの下請けがメインの縫製工場でした。
当時はTシャツが今ほどメジャーではなく、
そのボディのほとんどがアメリカからの輸入がメイン.
Tシャツ素材が未だメリヤスと呼ばれ多くは下着用や家着で、Tシャツは今程市民権を得ていない時代でしたが
サーファーにとってはウエットスーツと同じくらい身近なアイテム、
自分達が着たいTシャツ、ウエアを、
生地の発注から始まり原反、カラーにもこだわり、染色、縫製サイズもUS規格ではなく
日本のサーファーにフィットする型紙をおこし、
1982年日本国産サーフブランドとしてスタートしました。
同時に、プロサーファーとして活動するスタートの時期とも重なり、何より
サーフィンしたいがためというのが一番の理由でした。
先代の”これからの時代、あなたたち若い人の発想で自由に使って”というアドバイスから、
前出のように、OEMを受注生産と共に、
自分たちのブランドを立ち上げ販売する事業へ転換していきました。
この丈がもちょっと短かったら。。
襟ぐりがもっと広い方が。。というもうちょっとこうだったらという意見を拾い上げ形にしてサーファーならではの感性、そして体型に沿うよう試行錯誤。
Shopのオリジナルウエア受注も、原反の染色、カラー選びから可能にし、既製品には無い微妙な色合で製品化する事で他には無いオリジナルとして喜んで頂けました。
その反面、後染めの製品など僅かに色合がサンプルと違った事により、500着ほどが作り直し、メーカーブランドロゴのPRノベルティのため廃棄になるという事もありました。
日々手探り状態でしたが、スタッフも当時はほとんどが20代。
とにかくチャレンジの毎日でしたが、サーフィン業界の方々からの受注が少しづつ増え。
サーフィンブームの到来とともにAB'Sブランドも少しずつ全国に売り上げを伸ばして行くことができました。