1980年代、日本国内ではJPSA ASPなどコンペティションサーフシーンが活況、
10代20代の若い世代を中心にサーフィンとそのファッションが大ブレイク、雑誌Fineやポパイなどトレンド雑誌が若者のバイブルに。
西海岸とサーフカルチャーがトレンドだった時代背景の中、弊社の商品はアパレルショップでのお取り扱いも多くなり北海道から沖縄まで全国のサーフショップ、量販店などでお取り扱い頂きました。またサーフショップのオリジナルプリントのチームウェアOEM発注も多くなり、各地の海ではそれぞれのお店のロゴが入ったTシャツを着たサーファーを多く見かけサーフィンカルチャー、音楽、ファッション、ヘアスタイルや車、その時代の若いサーファーたちがその時代を牽引していたと思います。
JRを始め、電車にサーフボードが詰めるようになったのもこの頃です。
そのおかげで中高生がサーフィンに行けるようになり、
首都圏から始発の電車に板を抱えて乗り込む週末の風景、御宿や鵠沼など、海から近い駅は電車サーファーのメッカとなりました。
JPSA日本プロサーフィン連盟の年間サーキットが8〜10戦、ASP(現WSL)ワールドサーフリーグも日本国内で年数戦とプロサーフィンシーンが一気に活況を得てきた80年代後半、レディースの試合も増えてきました。
その中1985年、ABSレディースプロライダー柄沢明美がグランドチャンピオンを獲得しました。現在WSLトップ選手であり、昨年オーストラリアから日本への移籍を表明したあのコナーオレアリー選手のお母さんです。
他にも、現在、ハワイ在住のAB'sレディースライダー旧姓正木依子、山下光、現在、千葉北でバードサーフを経営されている鈴木順子など実力派のライダーが各エリアでレディースのプロシーンを盛り上げてくれました。
AB'Sのアイテムもライダー達が着こなすアイテム、スパッツやショート丈TOPSがヒット商品になりました。
当時大人気のトレンディ女優さんがドラマで着用し、各店舗では売り切れ続出のアイテムになりました。
サーフィンブーム真っ只中、テレビCMなど多くのメディアにもサーフィンが登場してきました。
飲料水、シャンプーメーカー、新聞社などがサーフィンを取り上げ、プロサーファーがTVCMに登場していました。
その中、新しい小包パッケージを発売するイメージCMのお手伝いをすることになりました。
事務局からお話をいただき、ロケ地にて1泊2日の撮影が行われ、
当時高校生だったタレントさんはじめ、かなり大掛かりな撮影だったと記憶しています。
サーフィンシーンが私の仕事ですが、スタッフの方々と撮影させていただいたのは色々と勉強させていただき大変有意義な時間でした。
主題歌とともに波に乗って小包をお届けするというCMは5月〜夏まで
若者向けの番組などのCMで放送されました。
同じ年、人気大御所お笑い芸人さんがMCを務める、TBSトークTV番組に、
新人女子スポーツ選手対談としてゴルフ、テニス、ロードバイクなどの選手と共に、前出の柄沢明美他1名のJPSAプロレディス選手と3名で出演、生放送のトークショーという緊張感抜群の状況で、各スポーツ界における女子選手の立場やそれぞれの業界、賞金などについてのぶっちゃけトーク。人気深夜番組、スタジオで生放送でありながらあけちゃんのトークはここでも冴えていました。
また、毎年冬オフシーズンには東京の各ショップやクラブのパーティーが行われ、年末の六本木界隈のDISCOはサーフショップ主催のパーティー会場、ショップのクラブ員や関係者など若者で毎週末のように盛り上がっていた華やかな時代でした。
左は六本木ロアビル、500名!の規模だったそうです。
(写真ご提供)
レディースのサーファーが増えてきた中、ボディーボードの世界でも1人の女性プロが世界から注目されていました。アメリカのサーフィン雑誌にショットを飾った内田美智子さんです。
この後FILIPPERというBB専門誌も創刊されマリンスポーツはさらに脚光を浴びる時代になっていきました。