2017年7月18日
フィージーでの大会期間中 コナの試合、しかもファイナルが始まる。
病院の安置所で、iPhoneでサーフィンの世界大会最高峰WCTの試合を見るというシュチュエーション。
ヒートは進み、その間葬儀屋さんを決めたり時々スタッフの出入りがある以外は13階の、そこから海を見降ろせる部屋には家族3人
と先程亡くなったカズが窓際の安置所の台の上に横たわっている。
ガラス張りの窓からの光が明るく、静かな空間。
コナが乗れば3人で携帯を覗き込み、一喜一憂。普段と同じよくある日常
違うのはただただ静かなその空間
そこが霊安室であること。
不思議なくらい
さっきもう亡くなってしまっていることが全く嘘のように
なぜこんな時に、こうしていられるのだろうとふと思った。
ただほかに今はできる事が思いつかない。
ただ穏やかに時間が経過している感覚は、かろうじてWSLの試合の進行で確認するかのようだ。
時は止まることはなく、
何が起こっても進み続ける。
今のどう?これでバックアップ上がったよね?どうかな
残り何分?
プライオリティは?
その空間には今までどうり、
本人が‘いる’
3人の会話の外側にいる。
そこには日当たりの良い窓側に横たわっているすでに亡骸となってしまった本人がいる。けど、それでは無く
まだ 本人の今までと同じ 存在がその空間と時間の中にある、という感じが近い。
コナの試合の方は逆転ならず終了。
それでもCT選手1年目、その初年度に準優勝は素晴らしいリザルト。
ファイナルまで進み表彰台に上がるコナを見た時は本当に嬉しかったし誇らしかった。
そして年の終わりには、この年のルーキーオブザイヤーにも輝いた。
Kazu本人は10日前コナの試合が始まるのを認識してただけに、
表彰台に上がったコナを見れなかったのは残念だった。
カズ本人も一発逆転とまではいかずとも、少しでも今より状況が良くなるように、というよりそれを信じてきた。最後は良くなってる自分を信じてた。
実際、ヒートが終わる1分前だってチャンスがある。
ホーンが鳴りおわっても、最後のスコアが出そろうまでは勝負の行方はわからない。
終わる直前に乗ったライディングでの大逆転劇などなんども見ているし、
あり だ。
チャンスは最後の最後まであるということ。
もちろんカズ本人もそのつもりだったろう。
ただ
今度ばかりは、
自分の結果を見届けて受け入れるしかなかった。
本当はここで撤退するわけにはいかなかったし、全くそのつもりはなかった本人にとってはさぞかし残念だっただろう。
まさかのここで人生の終わりを迎えることになろうとは。
その無念を思うと悔しいし、
悲しい。
入院してようが、余命あまりないですと言われてようが、それはそれ。
結果は出て見ないとわからないから、
他人には極めて僅かとも思えるチャンス を当の本人は平等に捉える、
というか、分量で測ってはいなかった。二択。
じゃあその反対側、生きる方に常にベットしていて本気だった。
この本気 というのが
生きることへの執念 というより、
平らに、冷静に、
毎日自分のできる事を粛々とこなし、ふつうになるべく今までと同じ様に生活し、
いつかもう少し状態が良くなったら海に入る、それが一番の願いであったと思う。
そこにいつも本気。何度か救急車で運ばれたり、入院してる時も。
そうすれば3月のオーストラリア後のように主治医もびっくりの体調がよくなる、そうこうして快方に向かう、というシナリオ。
そのチャンスを得ることを諦めない。
そこはしつこい性格の勝ち。
だからこその、最期の最後まで奇跡のような時間。
大逆転こそ叶わなかったけど。
あけ、そして柄沢オレアリー家の皆さんに心より感謝いたします。