1994年(平成6年)7月20日館山市に於いて有限会社に法人化、名称もAB'SBODYDESUGN PRODUCTIONから、有限会社カイトレーディングに改め新たなスタートです。
工場の傍らの2坪ほどのスペースにショールームを設け、ボードとウエットを各1点づつ、それと自社ブランドのウエアをディスプレイしたのがお店の原型でした。
下の写真は会社設立日の1994/7/20 場所は巴。
真ん中のBABY、カイではありません。
9ヶ月くらいのコナー、
コナー・オレアリーです。日本に来ていたあけとフィンさんとBABYのコナー。
この日は巴でできたので、みんなで交代でサーフィンしていた時に撮ったものです。
そのちょうど1年後の7月20日、長男KAIが生まれました。
設立日の、そしてこの巴の写真の1年後でした。
ショールームにしたことで、当時高校生や近所の人々が訪ねてくれるようになり、少しずつ物販の品も増やしていき、当時自分たちが乗っていたオーストラリア・サンシャインコーストのPAUL・PASCOEシェイプの日本代理店としてもスタート、毎年日本でもシェイプし、平砂浦 房南エリアではPASCOEシェイプボードが日に日に増えていきました。
クイックシルバーのエリアマネージャーだったポールさん、その頃からコーチングに力を入れていたオーストラリアのメソッドもポールさんより教わったこともたくさんありました。
そしていよいよSURFCOとしてショップがスタートします。
写真はOPEN時のスタッフ、MIWAちゃん&TOMO
たった2坪のスペースでしたが、
訪ねてくるお客様も地元のサーファーをはじめ、日に日に増えていきました。
中高生だった
初代LOCAL BOYZ庄司ゆっち、たっくん、小山達、地元を離れて、都会に行くボーイズたちも多い中、その下の世代の中高生Boys and Girlsが引き続き平砂浦のサーフシーンで見かけるようになりました。
栄子ちゃん、鈴木卓、茂雄、つよぽん&みのさん、ひろしくん、竜マン、ただし世代です。
同じく、のぶちゃん、柳田くん、伸二、恭一 千田くん、大介くんなど20代の若い世代も増えてきました。
平砂浦に入れば必ずSURFCOの誰かと会うような時代でした。
この年初めてPASCOEシェイプをオーダーしたタケ、
これは当時のオーダー用紙です。ざっくりしてますが、、、
6,2x48cmx5,5
今のショートと比べると、細くてかなり薄め、なフォルムが当時のトレンドだったと思います。
’この板を作ってなかったら、この板に出会ってなかったら、サーフィン続けてなかったと思います。それくらいサイコーの板でした’
たけのサーフィンライフを変えた1本、それがこのオーダーでした。
たくさんあるショップからSURFCOに来てくれて、そしてオーダーしたボードが最高の1本だった、というのは私たちスタッフにとっても最高なことです。
人生をも変えてしまう、良い方へ。
それがサーフィンであり、その最も重要なツールがサーフボード。
たけの言葉のように、このボードと出会えてよかった、と思える1本をこれからも提供できるように。
SURFCOの30年がこの年からスタートです。