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SURFCO〜サーフィンの仲間たち text by:古谷昭弘

この度の30周年のお祝いにと、元マリン企画・月刊サーフィンライフ編集者の古谷氏が

特別にご寄稿下さいました。こちらに掲載させて頂きます。

日本のサーフィンの歴史とともに歩んできたサーフィンライフと古谷氏についてはSPECIALISTにプロフィールを掲載しています。こちらもぜひご覧ください。



SURFCO~サーフィンの仲間たち 文:古谷昭弘


粟田都美さんの歩みはまさにショップ名そのものでした。


東京生まれの彼女は、のちに結婚することとなる粟田和幸さんと出会い、それががきっけで、サーフィンをはじめました。

海をベースにした生活を得て、コミニティの輪を広げ、

気がつけばプロテストに合格していました。1984年、鴨川でのことです。


1984年のサーフシーンといえば、アイランドスタイルからコンペティションが胎動する最中でした。1984年はトム・キャロルがワールドチャンピオンではありましたが、トム・カレン時代の前夜(トム・カレンは翌年ワールドタイトルを得ます)、まさに大きな転換期でした。

都美さんが没入していたレディース・コンペティションも同じです。

プロミートにレディース部門が定着し、世界大会だけでなく、国内ツアーも数を増やし、

黎明期ともいえる勢いでした。

しかし、まだまだレディースのプロ選手は少なく、

それだけにレディースプロの面々はそれぞれに繋がりが深く、ヒート中以外はサーフィン仲間たちとのトリップのようでもありました。

その中心のひとりが彼女で、トレンドセッターの役割も兼ねていました。

都美さんは女の子のためのビーチウェア・ブランド、〈AB’s〉を立ち上げるのです。

潮の香りに、ストリートをさりげなく意識したデザインは、ブロックタイプのロゴとあいまって、80年代のアイコンともいえるテイストで人気を博します。

レディースのビーチファッションを席巻した〈ROXY〉が産声をあげる前の出来事です。

この上質のビーチウェア通じて、都美さんはサーフィンの仲間をさらに広げていくのです。


そんななか、海と生(NALU)、海からの贈り物のような名前を授かった2児の母親になります。家族というサーフィンの仲間を得た都美さんはホームウォーターでもある平砂浦にSURF CO.をオープン、新しい生活をスタートさせるのです。

結果、サーフィンの申し子のような2人の息子はどちらもプロサーファーに。

親子2代どころか、母親を含めて家族4人全員がプロサーファーというのですから、驚きです。


仲間たちが集ったSURFCOは瞬く間に30周年。新しい中も加わり、サーフィンは彼女の中で、いつだって、かけがえのない存在です。サーフィンと仲間たちさえいれば、毎日はこんなにカラフルになるんだと、都美さんはいまも静かに体現してくれているのです。





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